SaaS企業の雄Sansanを創業した寺田親弘氏。これまでの経歴や想定資産額、組織・事業の考え方などを調べました。いくつかのメディアを参考にしているので、詳しく知りたい方はリンクから参照ください。
寺田 親弘のプロフィールサマリー

氏名(ふりがな):寺田 親弘(てらだちかひろ)
生年月日:1976年12月29日
出身地:大阪府
1976年 東京都生まれ
1999年 慶應義塾大学環境情報学部卒業
1999年 三井物産(株)入社。
2001年 Mitsui Comtek社シリコンバレー勤務
2006年 三井物産セキュアディレクション(株)出向。経営管理部長
2007年 Sansan創業
SNS:Twitter
寺田 親弘の資産は?
推定978.3億円
資産については色んな出し方があると思います。実際は資産管理会社での保有やその他不動産などもあるかと思います。この記事ではシンプルに「純粋な初値(予想)と保有株式」で算出しています。
寺田 親弘のプロフィール詳細
1976年に東京で生まれる。父親が起業家であり、小学生の頃には起業を志していた。その後、慶応義塾高等学校に入学。大学もそのまま慶応義塾大学へ進学。新卒で就職先に選んだのは三井物産。
商社に入社を決めた理由は、総合商社で数年経験を積めば起業の役に立ちそうだと考えたからとのこと。三井物産では情報産業部門に配属。その中でシリコンバレー勤務を1年半ほど経験している。2007年にSansanを設立。2019年6月、東証マザーズへIPO(新規上場)させ、2021年1月に東証1部へ市場変更。
引用記事①:Sansanコーポレートサイト「Leadersページ」
引用記事②:Wikipedia「Wikipedia」
寺田 親弘の交友関係
実際はもっと多くの交友関係があると思いますが、多数の記事で実際に名前が挙がっていた方々をリスト化しています。
・Takram田川欣哉氏
・ビジョナル(ビズリーチ)南壮一郎氏
>>>オススメ記事「ビジョナル(ビズリーチ)創業者・南 壮一郎について資産などを調べてみた」
寺田 親弘の思考
多数メディアの寺田氏へのインタビューから「寺田親弘の思考」としていくつかトピックスで抜粋をしました。※参考にしたメディアは末尾にまとめています。
「名刺」を事業ドメインに据えたビジネス創業の原体験
名刺を事業対象に選んだのは、寺田自身が名刺管理に困っていたからとのこと。創業前から名刺管理は非常に大きな課題だと感じていたという。
ビジネスパーソンとしてのキャリアをスタートした際、名刺という「非効率なツール」に衝撃を受けた。
フェルミ推定的で考えると世界では年間100億枚の名刺が交換されており、この膨大な数の名刺をデータ化できれば、世界中に大きなインパクトを与えることができると考えた。
当時は手帳がスケジューラーになるなど、ビジネスツールがIT化されている環境だった。一方で名刺は依然として紙のまま流通していた。実際に「あれ?名刺どこ行った?」と探す作業を皆していた。本当に多くの人が無駄な時間を「名刺探し」に使っていると感じていた。
また、「人脈探し」でも画題があると思っていた。三井物産時代に「接点はあるはずなのにキーパーソンの連絡先が分からない」ということがあった。知り合いからたどっていっても「分からない」となれば人脈が閉ざされてしまう。ただ、実際には隣に部署の知人が人脈を持っていた、ということも。それさえ知っていれば無駄な時間を使わずに接触できたかもしれない。これが日本中、世界中で行われているはずで、これを解消して、人と人とが簡単かつ有機的に結びつけば、働き方が変わるのにと強く思っていた。
三井物産をやめた理由
三井物産は収入的にもビジネスのダイナミックさもあわせていい会社。それを捨ててでもやろうと思ったきっかけや理由は特になかった。もともと起業志向であり、三井物産に入社した時点でいつかは起業すること自体は決めていた。
泥臭い創業期
創業からはテクノロジーだけではなく、名刺を手で入力をすることもあった。夜中に手作業で入力するぐらいときもあった。名刺の入ってくる流量に対して処理できないと対処していくのは大変だった。
もちろん営業活動もしており、いろいろな会社に行って「名刺を出してください」って言って、机の引き出し開けて勝手にスキャンする事もしていました。毎日10時間スキャンする時代も。とにかくどうやって使ってもらうかを含めてに必死だった。
そして、最初の3年ぐらいまでは、1日8アポをどうやって入れるかを考えていたことも。9時、10時半、11時と、とにかく8個入れて営業をしていた。スキャナーとタッチパネルのPCを、キャリーバックに入れて持ち歩いていた。訪問先に行ったら「接続させてもらっていいですか?」と言い、その場で設定して「これがそうです」って説明するということを毎日やっていた。
SaaSのビジネスモデルが投資家に理解されなかった
チャーンレートを経営の指標にするなどのSaaSモデルの戦略は、創業当時はなかなか理解してもらえなかった。月額サービスの利用者数と解約率からライフタイムバリューを算出し、目の前は「赤字を掘る」としても回収ができる見込みがある、と説明しても、投資家ですら数字の意味をわかってくれなかった。
当時は、ARR(Annual Recurring Revenue:年間計上収益)が1億円になっても、買い切り型のソフトを開発する小さな企業と同じ扱いをされていた。
2011年頃にIPO(新規上場)を検討していた。契約数も順調に増えて黒字化していたため、実際に上場準備まで進めていた。
ただ、寺田氏自身か思い描いていた未来担っていないと感じ、上場に二の足を踏んだ。そのタイミングでマーケティングの方法をガラッと変えた。顧客開拓を加速させるために、シリーズAで調達した5億円を全額テレビCMに投下をした。結果、BtoBサービスのテレビCMは珍しく、大きな話題になった。
資金ショートの裏側
Sansanは1度、お金がショートしている。
2007年~2008年はリーマンショックの時期で事業の裏側的にはだいぶへこんでいた時期だった。このまま行くとボーナスが払えないかもしれないということがあり、「借りに走るか」っていうことになったときがあった。本当に銀行を回ろうかと思ったとき、インキュベイトファンドのジェネラル・パートナー赤浦徹氏に言われたことを一生忘れないという。不足分が1,500万円ほどだったが「寺田さん、そんなつまらないことに時間を使わないでください。それは俺が貸しますから」といわれた。
Sansanが創業から大切にしている指標
外資のSalesforceの活動を参考にしながら手探りで改善をしてきた。創業初期から注目している指標はチャーンレート(解約率)。定額課金が基本のSaaSビジネスでは、LTVが大切になってくる。そのため、解約率のモニタリングは非常に重要。
>>>オススメ記事「SaaS企業のチャーンレート分析」
カスタマーサクセス専門の部署を作ったのが国内初?
2012年にカスタマーサクセス部を発足。全ての顧客に対して担当社員を割り振り、サポートしている。寺田氏曰く、カスタマーサクセス専門の部署を設立したのはおそらく国内企業で初だという。
2012年のCS部設立後もオンラインサポートの導入や既存顧客向けの営業チームをカスタマーサクセス部内に組織するなどの拡張を続けている。さまざまなデータを一元的に把握するための工夫になっているとのこと。
月次解約率は年々改善している。
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>>>オススメ記事「SaaS企業のチャーンレート分析」
どれか1つの施策が大きく解約率の低減につながったというよりは、サブスクリプションビジネスのキモを早くから理解し、さまざまな施策を長年続けて顧客の成功を模索し続けたことが現在の結果につながっているとのこと。
勘定奉行のOBCになぜテレビCMをやっているのかを聞きにいった
バリュエーション40億円で5億円調達をした。そのお金で一気に勝負にでた。「OBCはなぜテレビCMやっているんだっけ」という話になり、実際にOBCの人に聞きに行ったん。
OBCに行って聞いたら、使っている金額がヒト桁億円だった。「その金額に対してインパクトが大きい」と思い、やりようがあるんだろうなと思った。
BtoBのSaaS企業で初めてテレビCMを実施
初めて放映したのは2013年。当時BtoBの会社でテレビCMを放映していたのは一部の会計ソフト(OBC「勘定奉行」)だった。BtoBのSaaSとしては初めてのCMだった。
当初、テレビCMにかけるコストは1億円程度の予定だったが「砂漠に水をまくようなものだ」とも言われていた。結果的に5億の予算でテレビCMを実施した。
5億円のテレビCMは大胆な投資だったが、裏側できちんとロジックが立っていた。そもそもの「名刺管理」市場のマーケットは拡大する余地があり、LTVも高いため、知名度向上にもっとコストを割くべきだと考えた。
5億のテレビCMで200件の新規獲得できれば費用対効果が合うという皮算用
手元のチャーンレートと単価、それに対する粗利、それからライフタイムバリューを考えたときに、CMに5億円を使ったとしても、200件の新規顧客が取れれば元が取れると皮算用をした。「回収に5年はかかるため手元は赤字になるが計算は合う。どう考えても200件取れる」と判断をした。
資金調達の歴史
資金調達の歴史は、2007年の創業時に赤浦氏に出資してもらって始まった。その後、2009年に追加資金調達。当時は今とは違って、2009年の出資が、今で言うシード。資金調達を5,000万円以上を集めた。そして2013年から2018年までの5年間で、シリーズA、B、C、D、Eと累計で100億円以上を調達。
創業時の給与はゼロ
創業当時は創業メンバーの給料ゼロ。後の3人は給料15万円。
インキュベイトファンドのジェネラル・パートナー赤浦徹氏からサイボウズがいかにリーンに立ち上げたかっていう話を聞いていた。サイボウズは社長が3カ月は給料ゼロで、当時の副社長たちも半年は給料ゼロだったという。ただ、当時の給料ゼロは、当時そういう時代だったということもあった。それで良かった時代だった。
インキュベイトファンドのジェネラル・パートナー赤浦徹氏との12年間の関係
2007年の創業時に初対面で出資を提案した現インキュベイトファンドのジェネラル・パートナー赤浦徹氏とは12年間週次で定例会を行っている。
海外展開の考え方
新興国は、今後どんどんホワイトカラー化、ナレッジワーカー化していく。シャツやスーツを着て、名刺を持ち始めるはず。(寺田氏の独自見解で)既に年間100億枚使われている名刺が、新興国で更に広まるというのは、グローバルで見てものすごいポテンシャルを秘めていると考えている。
三井物産時代にシリコンバレーで過ごしたこともあり、海外への展開は起業当時から意識していた。まずは、シンガポールか香港に、海外拠点を創る予定。
基本的には、Eightを先行して海外展開しようと考えている。Eightは、スマートフォンを中心としたプラットフォーム。「ビジネスSNS」として、グローバル展開は十分に見込めると考えているとのこと。プロダクトとしては、最初から英語に対応できるように作りこんでいる。
海外拠点自体はあくまでもマーケティング拠点という位置づけ。 Eightは非常にシンプルで本質的な価値を提供するもの。国に合わせてローカライズしたり、開発し直したりする必要がない。
多くの会社が、グローバル展開時に、ビジネスをもう一度作り直しているが、本来はFacebookのように、どの国でも同じもので勝負できることに意味があるという。
可能性についての考え方
「いろいろな可能性を持っている方が良い」という感覚を持つ人は多い。本気で取り組むことは一つに絞られるはずなのに、どうしていっぱいあることを求め、安心したがるのかが疑問。
会社も同じ。一点突破する骨太な切り口が見つけられないから、いくつも事業やサービスを持たなければならない状況になっているという会社も多いはず。Sansanは、「名刺」という絞り込んだサービスを磨いていって世界と勝負していく。
これまでB2B事業のSansanで得た収益を、新規事業であるEightにつぎ込んでいた。「未知のポテンシャルを持つEightに十分に投資をしつつ、Sansanの成長機会も逃したくない」という思いを強く持ってところで、VC(ベンチャーキャピタル)からの出資を受け、二つの事業の両立を高いレベルで実現したいと考えた。
参考メディア
ZERO to Impact magazine『創業前からの二人三脚、起業家Sansan寺田氏とVC赤浦氏の12年間のハードシングス』
DIAMOND SIGNAL『「上場してもまだまだ“しょぼい”」名刺管理サービスSansan社長の大志』
プロコミット『Sansanが持っている骨太なポテンシャル』
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